
明治28(1895)年に本所(今の東京都墨田区)に生まれた牛鍋屋。
それが人形町今半のルーツです。その後今半は、いわゆる「のれん分け」によって、
5つの店(会社)に分かれていき、それぞれ独自の道を進んでいます。
※詳しくは「人形町今半物語」をどうぞ。
人形町今半の設立は、ちょうど半世紀前の昭和31(1956)年。現社長の父で
ある高岡陞(のぼる)会長により、日本橋人形町の地に「すき焼」専門店として誕生しました。
現在、本家をしのぐ店舗数と売上高を持つ人形町今半。その躍進の芽は、
すでにこの時点でくっきりと見えていました。
設立からわずか3年後の昭和34(1959)年、人形町今半は最初のチャレンジを行います。現在のケータリングサービスにつながる、お弁当の配達です。
「人形町今半のすき焼は旨いけど、忙しくて食べに行く暇がない」という声に応えて、「すき焼弁当」の配達を始めました。どじょうの柳川鍋をヒントに、土鍋に入れた温かいままのすき焼を配達するというアイデアは大評判となりました。
ほぼ同じ時期に、精肉の販売も開始しました。
「このおいしい肉を、ぜひ家でも食べたい」という声に応えてのことでした。
ちなみに現在、人形町今半が仕入れているのは最高級の国産黒毛和牛です。けれど私たちは、単にブランドで肉を選んではいません。仕入担当が一頭一頭チェックし、人形町今半の規格に合っているか厳選しています。「人形町今半が選ぶのなら、それは最高の肉だろう」と言われるような、“今半ブランド”を築き上げています。
その後も人形町今半は、数々の挑戦を続けます。しかしそこには、いくつかの苦い教訓がありました。
セントラルキッチンまで開設して挑んだ喫茶店とクレープレストランの展開は、売上が伸びず数年で終了。30を超える百貨店に出店した惣菜事業は、バブル崩壊を受けていったん撤退。その他にも変わり寿司の店や廉価版すき焼店など、いくつかの失敗を経験しています。
そこで得た教訓は、「お客様の求めている物を提供出来ているか?」という根本的な問いかけでした。
>>人形町今半の「これから」について
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